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人物・中曽根康弘

 
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上州から第2の総理・中曽根内閣スタート!!
1982年(昭和57年)10月、鈴木善幸総裁の突然の退陣により自民党は全党員による総裁予備選挙へと突入した。

その後継をめぐり本県の中曽根康弘をはじめ中川一郎・河本敏夫・安倍晋太郎が立候補し激しい戦いを展開した結果、群馬県連が支持1本化を計って全力支援の地元候補・中曽根康弘が圧勝し、11月26日衆参両院における首班指名の結果、栄えある第71代の内閣総理大臣・第11代の自由民主党総裁に就任し、先の福田内閣につづき県政史上をはなやかに彩る県民待望の第2次上州内閣の快挙が実現したのである。

一方、東京サミット開催をはじめとする積極的な首脳外交こそ、まさに中曽根政治の大きな特徴であり、その結果は近年では異例の3期5年間にわたる長期政権の維持に成功したのである。
[略歴]
大正7年5月27日、高崎市末広町生まれ。
高崎中学から静岡高等学校に進み、昭和16年、東京帝国大学法学部卒業。在学中に高等文官試験行政科合格。
16年、内務省入り。海軍主計少佐、内務事務官、内務大臣官房勤務。香川県警警務課長、警視庁警視、監察官。21年依願退職。
22年の衆議院議員選群馬3区で当選、連続19期。
両院原子力合同委員長、科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通産大臣、行政管理庁長官を歴任。
57年11月、自民党総裁となり第71代内閣総理大臣に就任。62年11月6日、5年間にわたった総理大臣を退任。その後も、世界各国の要人との会談、講演などに駆け回る日々を送る。
63年6月、(財)世界平和研究所会長に就任。
平成5年1月、アジア太平洋議員フォーラムが設立され、会長に就任。8年9月、日仏対話フォーラムの日本側座長に就任。これらの役職のまま、現在に至る。
9年2月、国会議員在職50年表彰。同年4月、大勲位菊花大綬章受章。
 
 
 

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