1982年(昭和57年)10月、鈴木善幸総裁の突然の退陣により自民党は全党員による総裁予備選挙へと突入した。
その後継をめぐり本県の中曽根康弘をはじめ中川一郎・河本敏夫・安倍晋太郎が立候補し激しい戦いを展開した結果、群馬県連が支持1本化を計って全力支援の地元候補・中曽根康弘が圧勝し、11月26日衆参両院における首班指名の結果、栄えある第71代の内閣総理大臣・第11代の自由民主党総裁に就任し、先の福田内閣につづき県政史上をはなやかに彩る県民待望の第2次上州内閣の快挙が実現したのである。
一方、東京サミット開催をはじめとする積極的な首脳外交こそ、まさに中曽根政治の大きな特徴であり、その結果は近年では異例の3期5年間にわたる長期政権の維持に成功したのである。 |