1976年(昭和51年)は、群馬県にとって永遠に忘れることのできない記念すべき年となった。
すべての県民が待望久しかった上州内閣の実現・第67代の内閣総理大臣・第8代の自由民主党総裁に本県選出の福田赳夫が就任したのである。
1972年(昭和47年)佐藤総理の後継をめぐる角・福戦争に敗れた福田赳夫が「やがては日本が 福田赳夫を必要とする時が来る」と予言した通り雌伏4年を経ての鮮やかな復活劇であった。
12月24日、折からのクリスマス・イブでにぎわう上州路は、県政史上初の宰相誕生に沸き立ったが、 この日こそ現在まで日本一の保守王国の名を欲しいままにしている自民党群馬県連の名実ともに 備わった力強いスタートの日でもあったのである。
「連帯と協調」をモットーに持ち前の福田経済理論に基づいた指導力と先見性、更には人情味 あふれる人間性とで政治不信を一掃し、安定経済を確立した福田赳夫の手腕力量は今でも 高い評価を得ている。 |